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マンガと私

2015年1月26日

EVERYONE 事務局のピカ-ド艦長ことおくだです。

 

私はマンガ大好き老人です。

 

自覚的にマンガにとりつかれ始めたのは「少年画報」という月刊漫画誌に掲載され
国民的人気にまでなった「赤胴鈴之助」と出会ってからだと思う。
風邪を引いて大嫌いな注射をして大泣きした見返りに母親に買ってもらった「少年画報」に
掲載されていたのが「赤胴鈴之助」の第一回だったのだ。
そのことだけはハッキリ覚えているのだが、詳細は記憶があいまいである。

 

今、調べてみると、「赤胴鈴之助」の連載開始は一九五四年ということだから私が八歳のころだ。
私は「赤胴鈴之助」の作者は武内つなよしと思い込んでいたのだが、
「赤胴鈴之助」の生みの親は福井英一という漫画家で、
福井は「赤胴鈴之助」の第一回目を描いて急逝したという。
それを引き継いだのが武内つなよしという当時新人の漫画家ということらしい。

 

「赤胴鈴之助」はその後ラジオドラマ化されましたね。
「チョコザイな小僧め、名を名乗れ!」

「赤胴鈴之助だあ!」
で、始まるんですよね。
このラジオドラマでデビューしたのが、千葉周作の娘・さゆり役の吉永小百合さんだったのですね。
一応、隠れ「サユリスト」の一人でしたから。

 

福井英一といえば、冒険王という雑誌で連載した柔道漫画「イガグリくん」は
近所のお兄さんから借りてむさぼり読んだのを覚えている。

 

福井英一は手塚治虫も一目を置く存在であったらしい。

 

この「赤胴鈴之助」とともに連載開始を体験したのが「鉄人28号」であった。
私の記憶では同じ時期だったのだが、調べてみると「鉄人28号」は「赤胴鈴之助」より
二年遅れのスタートらしい。横山光輝が作者である。

 

私は、小学校高学年になって随分「貸本屋」さんのお世話になった。

 

戦後、小説や漫画単行本、月刊誌を安く貸し出す貸本の店が全国規模で急増した。のちに登場する
レンタルビデオ店の先駆的な存在である。貸本の店は大衆娯楽小説や少年漫画などの単行本、
成年・少年・婦人雑誌などを提供する場として1960年代初頭まで日本全国にあふれていた。 (ウィキペディア)

私の記憶では一泊3円~5円で借りていたと思う。(一日のお小遣いが10円だった)

 

学生時代は「あしたのジョー」や「ゴルゴ13」「カムイ伝」、つげ義春の「ねじ式」などなど枚挙にいとまがない。

 

息子(現在41歳)もマンガ好きで、一時は漫画家を目指したくらいだ。
息子が10歳前後(いつからか記憶が定かではないが)から、「少年ジャンプ」を読みだしてから現在まで、
30年前後息子が読んだ後、私も読み続けている。今は息子→息子の嫁→私の順だ。
車で来る時などにどっさり3ヶ月分くらいを持ってきてくれる。
だから、「ドラゴンボール」や「北斗の拳」「スラムダンク」も読んできたし、最近では「ONE PIECE」「トリコ」
「ハイキュー」「暗殺教室」「食戟のソーマ」などなどにはまっている。「磯部磯兵衛物語」の味はたまらん!

 

 

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