EVERYONE 事務局のピカード艦長ことおくだです。
これまでに、マンガや映画の自分史みたいなものを語ってきましたが、さて音楽は私にとってどんなものだったのでしょう?
世の中には絶対音感をもつ人がおられますね。私も何人かの絶対音感ホルダーと出会い、大いにうらやましくおもったものです。何故なら私はどちらかというと絶対音痴のぶるいだからです。
音痴だけど、音楽が好きというのが私流の音楽スタイルです。
私は七人兄弟の末っ子で長兄とは十五歳も離れていますので、幼少~低学年のみぎりは結構ラジオというメディア(テレビは未だ存在しなかったので)を通じて終戦後にはやった歌謡曲や演歌に親しんでいました。
高校で音楽か美術を選択することになり、一年生のときは、音楽を選択しましたが、音楽の先生が、音楽を楽しむというより、音痴はその存在を許さないというような男の先生で、一人ずつ歌わせる授業があり、「夢見る人」を選んだ私は、何度もピアノをとめて睨み付ける先生のお蔭で、音楽に対するトラウマが出来てしまいました。二年生からは美術に選択を替えて、楽しいエンタメ時間を過ごすことが出来ました。
もし、このまま、音楽と縁を切っていたら、音楽残酷物語で一生を終えるところでしたが、生来音楽好きだったのでしょう、そのトラウマもやがて薄らいでいきました。
ボーイ・スカウトの野外生活では歌はつきものでしたし、フォークソングなんかも楽しみました。大学生時代はトリオ社のアンプにスタックスのヘッドフォーンでジャンルを問わず聞き入っていました。北島三郎のなみだ船からグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲まで涙なしには聴けませんでした。大人になっても酒とカラオケは人並みにやりました。音痴ぶりはそんなに改善は見られませんが、少しはうまくなったのでは(?)とひそかに思っています。(笑)それでも、私の音楽ライフは大変乗り遅れている感が今もあります。
そんな私の音楽人生を変えてくれた事件が二つあります。ひとつは不思議なご縁で、オルケスタ・デ・ラ・ルスがグラミー賞にノミネートされたときに、お供させて頂いたこと、その際、メンフィス(グレイスランド含む)、ナッシュビルのグランド・オール・オプリ、ニューオーリンズとレンタカーで音楽の旅をしたこと。もう一つは今から12~13年前にiPodを入手し、リアルタイムで聞き損ねた音楽を聴きまくっています。